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あの大型テーマパークはなぜ浦安市を選んだのか?

Posted by motoi on 2023年2月20日

夢の国というイメージの大きい浦安市舞浜地区にある大型テーマパーク施設。パークは2つの施設に分かれており、それぞれの来園者数も年間1000万人を超える程、日本国内でも超がつく人気ぶりですよね。

その年齢層も幅広く、小さなお子様連れのご家族から、中高生や大学生、また、社会人と年齢や性別を問わずに夢の国で思いきり満喫できる施設になっているのも愛される理由かもしれません。

交通機関を利用するとJR京葉線の舞浜駅が既にテーマパークを連想させるようなワクワクする街づくりになっています。

そんな有名なテーマパークですが、千葉県浦安市に所在しているのに園名に「東京」との地名がついているのはなぜなのかと、私自身も疑問に思った過去があります。

舞浜地区もかつて埋め立て事業が行われた地域。ではなぜあの世界的にも有名なテーマパークが浦安市に招致を決めたのか、本記事で探っていこうと思います。

招致には大きな障害があった

世界的にも有名な大型テーマパークが浦安に招致を決定するずっと前の話です。

ある実業家が米国本土にある本家テーマパークにとても感銘を受け、日本の奈良に日本版のテーマパークを作りたいという強い思いから、奈良ドリームランドを建設した過去がありました。

彼はテーマパークの創設者と直接面会し、日本につくりたい旨を懇願したと言います。しかし、本家テーマパーク側は本気とは思わずその時がきたら力になるという言葉で終わりました。

しかし、その実業家は再度創設者と面談し、その熱意が伝わったことで、創設者は無償で技術者提供やノウハウを提供したそうです。

無償とはすごいですよね。技術者も米国本社から日本に来る程なので、熱意が凄まじいものだったことは言うまでもありません。

しかし、順調だった奈良ドリームランドですが、テーマパークと同様の名称を使う交渉は進みませんでした。

これは技術者やノウハウの提供だけではうたうことができず、テーマパーク本社のデザインと設計されたパークのみが同様の名称を名乗ることができるため、奈良ドリームパークは基準に達しておらず、合意を後にも先にも得ることができませんでした。

とはいえ、米国テーマパーク本社との関係性はここまで悪い結果にならず技術者やノウハウを無償で提供する程ですので良好な関係性は保たれてきたのかもしれません。

しかし、諸々の合意を得られなかったにもかかわらず、奈良ドリームランド側が開園に先立ち、テーマパーク名を使い広告を出していたことが、後の浦安市招致の際に大きな障害になったとされています。

浦安市への招致の動き

実は招致候補は千葉県浦安市以外にも静岡、茨城などいくつかの候補地が上がっていたという話です。ではなぜ浦安に招致が決まったかというと、東京からほど近い地域であり、都心からのアクセスも良好のため、当然来園数の確保ができること、また、舞浜地区は埋め立て地域で、周囲は海に囲われているため、日常感から離れたパークの世界観を保ちやすいためと言われています。

結果的に浦安に招致合意、契約となるわけですが、前項で大きな障害があったと解説したように、当初オリエンタルランド社を設立し、米国テーマパーク本社との交渉の際はこの障害の壁が大きかったようです。

交渉に交渉を重ね、ついに米国テーマパーク側の幹部を浦安に招待し、浦安の魅力を存分にアピールする場を設けることができました。

他ならぬ世界的なテーマパークとだけあり、世界各国から招致のアピールをされていたそうですが、さまざまな高い基準を設けており、簡単に許諾できないそうです。

全てをクリアする場所がなかなかないということですよね。

しかし、浦安に関しては視察からわずか3日で受け入れたそうです。

きっとオリエンタルランド社の熱意、それに関わる人々の努力、また浦安市や舞浜地区の場所柄など全てが伝わったのでしょう。

こうして浦安市がテーマパークで有名な街としての1歩を踏み出しました。

その後、建設するまでの期間も住民の理解など紆余曲折ありましたが、現在においても日本で来園者数1位を誇るテーマパークであり続けているのは言うまでもないでしょう。

まとめ

テーマパークの名称に千葉という地名がないのは、浦安が東京圏内であることや、東京は世界的にも有名な都市として確立されているという2点から「東京」という地名が付いたと言われています。

実際は他の理由もありそうですが、情報として挙げられている内容は上記2点でした。

明治、大正、昭和初期の時代、海産物や漁業の町だった浦安市、今の浦安の位置を確立するまでの間、住民の決断や自力で動く行動力など、その努力が今も受け継がれているのかもしれません。

今でも浦安独自の政策があり、住みたい街としても常に上位に名を馳せています。子育て世帯への補償体制も手堅く人気のエリアであるのは、やはりここでも浦安市独自の政策を浦安市民が作ってきたからでしょう。

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